ルイジアナ州ニューオリンズ ―― ハリケーン後に美しさを取り戻す街
塀は緑に覆われ、たくさんのハンギングバスケットを飾りひときわ目を引くワンフロアの家
ジャズが生まれた地、ニューオリンズに向かう路線はハリケーン災害直後のため本数も限られていましたが、アトランタから電車で向う事にしました。車内では被災から3ヶ月後初めてニューオリンズに帰り、家を建て直すという黒人の大家族に会いました。彼らは自分の町に帰れる喜びで終始ハッピー、笑いが絶えず、そしてどんな時も明るく生きたいんだと言う言葉に生きる力強さを感じました。
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| 職人のセンスを感じるレースのような錬鉄製の手摺が建物に南国の影を落とす |
フレンチクォーターの周辺では、ビルや住宅の壁3?4m程の高さに喫水線のようにくっきり水害の跡が残り、1階商店やホテルはクローズされ街は廃墟の様でした。
フレンチクォーターはフランス占領時に区画名が残り、スペイン占領により独特な木造コロニアルスタイルの家が作られ、数々の小説の舞台にもなりました。
当時流行したアイアンバルコニーは繊細なレースのように造られ、そのレースの間から下を通る人々に微笑みかけるように顔を出したグリーンと花が開放的な楽園を演出していました。
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| 職人のセンスを感じるレースのような錬鉄製の手摺が建物に南国の影を落とす |
バーボンストリートなどの目抜き通りはホテル、レストラン、アートショップが並び観光客で賑やかですが、少し離れると閑静な住宅街です。
玄関の階段に座り読書していたヴィクターさんはフレンチクォーターに住む日本と深い関わりがある作家です。彼が20代だった1967年頃に劇作家のテネシー・ウィリアムズと来日した時、三島由紀夫と食事を共にしたそうで、当時を懐かしそうに話してくれました。
高台にあるためにフレンチクォーターの中心部は水に浸からなかったことや、執筆するのに適しているのでこの町が大好きだと説明してくれました。
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| アイアンレースの続く街並みにはニューオリンズの歴史と
魅力が凝縮されている |
ホテルは被災者で満室、夜遅くまで親切な地元の人が車であちらこちらのホテルを訊いて回ってくれましたが宿は見つかりません。結局、駅構内で朝まで過ごしましたが、この街で出会った人達の心温かさと美しいレース状のアイアンバルコニーの魅力に惹き付けられ、必ずまた訪れるだろうと思います。
文:冨岡真美 Photo by Mackey